昨日感想を書いた本には、「社会に通用する『私』」ではなく、「今のままの『この私』」のままいたいというのが最近の若者だと書いてあった。「この私」は、しかし既存の社会では、とても生きにくい。平たく言うと、社会で折り合うためには、わがまますぎるという意味だと理解した。
「では、明日からどうしたらいいの?」という問いがそのまま帯になっている本が「ウエブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか」(梅田望夫 ちくま新書)実は私がブログを書いてみようかな、と、思うひきがねになったのがこの著書の「ウエブ進化論」(ちくま新書)だった。その本には、それまでよくわからなかったグーグルの仕組みや、オープンソースの仕組みがわかりやすく書いてあり、何より全体のトーンが、心配になるほどのオプティミズムで貫かれていて、うっかり乗せられてしまったというのが本音です。
この新著でもそのオプティミズムは全開。若い人に向けて「好きを貫く事で道は拓ける」「やる気になれば、あらゆる知識、情報をネットをとおして得る事ができる。」「ネット社会とリアル社会のすきまにチャンスはあるはず。そこを開拓しよう」と呼びかける。シリコンバレーを拠点に仕事をして、ネット社会が自分にとっての「現実」になっているような生活をしている著者のあり方には、疑問符もたくさんつけられるだろう。また、グーグルという会社では、衣食住のほとんどが社員に対して供給され、社員が「仕事」に没入できる環境が整っている、逆にいえば、「仕事以外」の生活をミニマムに置く事で効率をあげるような仕組みが整っているというのは、ちょっと怖くもあるが、私のように、北海道の片隅でもいろんな情報、知識を得ることができ、ネットワークを作っていく事で広がった世界の事を思うと、著者の主張も悪くないように思う。
少なくとも、既存の組織や仕組みとは全く違う枠組みが広がっているという事は、生き方の道筋も変わっていくということだろう。
ウエブ進化によりどういう自由が現代人には開かれたのか、と考えるとき、私は、リアル社会の環境の制約、つまり住む場所や生まれながらに属するコミュニティなどが相対化されて、自らの志向性に合わせた共同体へ移行する自由が与えられたことなのではないかと思う。地縁、血縁、学校、社会といったリアル社会のコミュニティから、「時間の使い方」の優先順位を変えることで「志向性の共同体」へ移行する自由である。私はこういう可能性を肯定的にとらえたい。人間は一人ひとりまったく違う。その志向性を見極め、広い世界の中で自分の適した場所を見つけて、そこで生きていける自由は素晴らしいと思う。(pp82)
リアル社会のコミュニティを全く無視して生きていく事はできないだろう。ネット環境へのアクセス可能性による差別の有無の問題もあると思う。それでも、いろいろ閉塞感に満ちている今、未来について若い人に提示できるひとつの可能性が語られていると思った。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687) | |
梅田 望夫 筑摩書房 2007-11-06 売り上げランキング : 79 おすすめ平均 21世紀における新たな知的生産の技術とも言える本である。 一生に二生を経る予感 万人に「面白い時代」の可能性を説く元気の出る本 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
夕ごはん
れんこんいりハンバーグ
飯ずし
納豆
長いもすりおろし
高野豆腐とわかめのみそしる
「ウェブ進化論」と「ウエブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか」って持ってたらいつか、まわして~。
ReplyDeleteみかんさま
ReplyDeleteはいはーい!と思って「ウエブ進化論」を探したんだけど、、、、行方不明です。もうちょっと探してみますね。
「ウエブ時代をゆく」には、みかんさんが読んだら思わず「にやり」とするような記述もありますよ(^^)
。。。って、私が「にやり」としたんだけど。
おりひめ