2009-07-14

「いのちの始まりと終わりに」

昨日のお昼、テレビに流れた「ニュース速報」に唖然。いえ、「国会解散」だの「解散予告」だのじゃなくって、「移植法改正法案可決」のニュースの方。情勢からいって、今回の可決はないだろうなあと思っていたから。テレビニュースでは、国内での心臓移植が叶わず、渡米するものの待機中に幼い我が子をなくしたという夫妻が傍聴席で涙をぬぐうシーンが流れていた。道内で「賛成」票を投じた議員たちは「移植を待っているひとを一刻もはやく助けたい」ってコメントをしていた。

この法律が成立すると、「脳死は人の死」となり、15歳未満のこどもからも移植が可能になるそうだ。

「脳死」と「臓器移植」の話って、立花隆が「脳死」という本を出版したときから、ずーっと気になり、今だによくわからないモンダイ。瀕死の重病の子どもがいたら、「一刻も早く助けたい」と思うのは、ごく当然の「わかりやすい」感情だと思うけど、私の脳裏には、チンプンカンプンながら読んだ「脳死」の一節が未だに焼き付いている。

一方に生を与えたら、一方に死が残る。


「脳死は人の死」って法律が決めても、私の中のモヤモヤは解消されないのです。このモヤモヤは何かなあと思ったところに、スッキリするお答えが、ある本に。

「それは、倫理の問題だからです。」

。。。。実はスッキリじゃなくって、さらなるモヤモヤの世界に一歩、ってことですね。それでも、そうか、「法律(論理)」で解決できないモンダイなのね、と、わかっただけでもスッキリ!です。さて、そのスッキリを与えてくれた本は「いのちの始まりと終わりに」(柳澤桂子 著 草思社 2001) 

生命の誕生の仕組みから、人工授精、代理母の問題、出生前診断、クローン、脳死、臓器移植から安楽死まで、「生と死」をめぐるあれこれについて、ていねいにわかりやすくたくさんの例をあげて考察している。「病名のつかない難病」で数十年間苦しみ、一時期は医師に「安楽死」を嘆願したという経験を持つ著者は、「『いのち』について真摯に向き合い、時間をかけて『考え』なければいけません」というメッセージを送る。そして考える事と同時に「いのちを感じる」ことも忘れてはならないと。

いのちを感じるということは、大脳辺縁系の仕事かもしれません。私たちは、大脳皮質があまりにも大きくなってしまったために、論理に特別な価値を与えています。理論整然と説明できないことには意味がないと思いがちです。けれども(中略)論理からはずれた直感、本能などの価値をもう一度見直す必要もあると思います。(p191)


つまり、モヤモヤをモヤモヤのまま抱えて歩く勇気を持とうってことかな?

いのちの始まりと終わりに
4794210655柳澤 桂子

草思社 2001-06
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夕ごはん

ニンニクの芽とベーコンのいためもの
アスパラ
きゅうりとキャベツのぬか漬け
秋刀魚の梅干し煮
納豆
あげとカラシナのみそしる

5 comments:

  1. こんばんは。

    臓器移植・・・・・
    常々、夫と話題にしています。

    というのも、最大の問題は、日本人の”宗教感覚”。普段、無宗教のようで、いざとなったら、病理解剖も拒むむきもある・・・・

    この法案が急がれたのも、海外での移植渡航者が増加し、金額も増加し、それを寄付によってまかなう。(寄付に関しては、ずっと考えていますが、いまだ自分の考えがまとまりません)

    6月の読売新聞のニュースでは、日本人の子供の移植に、前金4億円請求された、とか、海外からの移植は、全体の5%にとどめる、など、記載されています。

    http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20090618-OYT8T00349.htm

    自分の国では、移植できないのであれば、海外へ。
    海外での臓器移植(主に東南アジア)は、臓器売買にもつながり、このところ、外国人の臓器移植に制限がかかり、今国会であわくって審議を通したのではないかと邪推しました。

    以前の、郵政民営化の影に隠れた後期高齢者医療制度の法案可決のときと、似たものを感じます。
    十分な審議がつくされないまま、可決された印象です。

    長々とすみません。

    わたしも、モヤモヤを抱えて生活しています。

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  2. ご承知の通り、ウチにもアラカンが一人。

    たとえばアラカンの脳死がはっきりと確認されたら?
    いや、もうダメでしょう。は?臓器を使いたい?お役に立てるならどうぞ持って行ってちょうだい。

    たとえばアラカンがヒト様に臓器をもらわなけりゃならない立場になったとしたら?
    場合によりけりかなあ。
    どうしても、とは思わないと思うのね。

    そういうモヤモヤはおいといて。
    今回の法案可決についてはカズさんのおっしゃる通り、やり方に疑問が残りますよね。
    だいじょうぶか日本?
    非ジョーに心配。

    財政破綻したカリフォルニアも非ジョーに心配。

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  3. 今日の毎日新聞の医療コラムに脳死と人工呼吸器との関係を書いていて、非常にわかりやすかった。簡単にいうと、人工呼吸器なくして脳死はあり得ないのだ。脳は死んでも人工呼吸器で無理矢理酸素を供給、心臓を動かして他の臓器を生かし続けている状態が脳死。脳死は、1970年代ごろに人工呼吸器が普及することで発生した「最近できた死」なんだそうだ。
    わたしは、普通に心臓が停止して死ぬ自然死を希望したいので、今のうちに、旦那には「人工呼吸器つけないで!」「蘇生措置不要」と伝えておこう。完全に死んだあとに臓器をもっていくなら、どうぞ、お持ちください。って気持ちだ。
    うちの祖母は、病気で死にそうになったとき、30分におよぶ医師の心肺蘇生の結果、かろうじて命をとりとめたものの、その後、人工呼吸器のお世話になって、一度も意識が戻ることのないまま、1年8ヶ月後になくなった。かたや、末期がんの夫に人工呼吸器をつけることをこばんだ友人もいた。夫の死後、彼女は、自分の選択を悩む発言をしていたので、わたしは「呼吸器をつけないでよかったと思うよ」と、祖母の話をし、慰めた。
    自分がどう死にたいか、家族が死にそうになった時どうするか、生きてるうちから意思表示しないといけない世の中になったんだなあと思う。

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  4. >かずさま

    今日の夕方のニュースで「法案可決」だけど、実際「臓器移植」が日本で増えるかどうかは、ビミョウって報道がありました。それによると、結局「医療不信」が根深いので、患者も遺族も、臓器提供する気分にならないだろうと。そんな中、とても親身に信頼関係を患者側と築くことで、移植数を増やしている病院のレポがありました。説得力ありました。

    たしかに、「海外渡航をしての移植」にWHOがストップをかけてきたのが速攻採決の背景でしょうね。で、この「海外移植」の様子を見ていると、、、結局、寄付金を募るなどして費用を賄える「お金持ち」国の子どもだから可能なんだろうなあと思うと、またフクザツな感情が出てきます。紹介した本にも「残念ながら、いのちは選別されます。」という鮮やかな(例によって)一行がありました。

    モヤモヤ。

    >山女さま

    我が家の「アラカン」は、徹底した(?)医療不信のかたまりなんで、「信用できない医者にからだをいじくられたくない。例え死んじゃったあとでも」ってタイプです。臓器移植で助かるといわれてもノーだろうし、「臓器ほしい」なんて奇特なこといわれてもノーでしょう。

    わたしとしては、ご本人の意志尊重するしかないっすね。ま、「人生不満なし」みたいっすよ。ご本人は。

    スッキリ


    >みかんさま

    そうかー。「人工呼吸器」つけないって決めちゃえばいいのね。アラカンにも伝えます。

    自分自身としては、、、いくらリサイクル社会でも、私の内蔵、使い回さんでも、、、って思います。


    おりひめ

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  5. こんばんは

    >みかんさん

    今までの私の認識から、え?と思ったので調べてみました。

    脳死と植物状態がこんがらがっているようで。

    脳死判定の場合、気管切開し人工呼吸をしていても何日間かで死にいたる。
    それを理由に脳死移植がヒトの死と判定しようという動きになったそうです。
    日本以外でも、採用されていたため。

    脳死と植物状態

    http://www.okayama-zouki.or.jp/noshi.html

    ですが、以下のように、脳死と判定されていても、生存例があるそうです。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/脳死

    また、別口ですが、興味深いH,P,をみつけたので、何かの参考になれば幸いです。


    がんサポート

    http://www.gsic.jp/support/sp_02/kvs/16/index.html

    おそらく、ご存知とは思うのですが。

    あ、時間差でした。
    補足です。

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