作者もタイトルも耳にしたことがない。それでも、一ページ目を読んだとたんに、「凄い!」と、心臓がどきどきしてきた。
読んだ本は「猫鳴り」(沼田まほかる 著 2010 双葉文庫)。
ストーリーの中心は、一匹の猫。「モン」が、拾われるところまでが第一部。成長してボス猫として近所に君臨している姿が第二部。そして、年老いて、この世を去る瞬間で、第三部が終わる。
こう書いてしまうと、「猫好きおばさん好みの、ほんわか猫物語」に思えてしまうかもしれないが、とーんでもない。
だいたい、第一部で拾われるまでが壮絶。モンを最終的に引き受けるのは、流産したばかりで心に傷を負っている40代の女伸枝。これが、生まれたての仔ネコのモンを、これでもかー!というくらい、何度も「捨て」に行く。その都度、ものすごい生命力を見せてふてぶてしく戻ってくるモン。
そして、第二部に登場するのは、ほとんどネグレクトのような状態の14歳の不登校の男の子。ナイフを懐に忍ばせて、すきあれば幼児をずたずたに切り裂きたいという衝動に駆られている。彼は自分の絶対的な孤独に押し潰されそうになっているのだ。そして、ギリギリの状態を救ったのがモン。それも、恐ろしく残酷な方法で。
「愛」とか「思いやり」とか、そんな半端な次元の話じゃないのです。
言ってみれば「希望」はない。「絶望」があるだけ。それが「生きる(いのち)」ということ。
では、どうする?
多分、「受け入れる」ってことなんだと思う。少なくても「猫鳴り」はそういう物語だ。
第一部の伸枝がかたくなに、モンを拒み続けるのは彼女の「絶望」の深さの裏返し。その「絶望」をモンが救ったわけではない。第2部の少年が自らの「ブラックホール(=絶望)」を受け入れるためには、恐ろしく残酷な生命の力=自然の力が必要だった。
そして、第三部。この作者は、絶対、何匹も仔ネコを拾い、育て、そして別れた経験を持っているに違いない。徹底したリアリズムで、最期のときを迎えるモンを描き続ける。そして、伸枝亡き後モンと暮らしてきた藤冶の哀しみと葛藤の姿を。
猫を見送った経験がある身としては、涙なくして読めません。
それでも、モンを往診する青年医師のひとことで、第三部の主人公と共に、はっと我にかえることができた。
「悲しいのはこれは、しかたのないことだと思います。ですが、不安を抱いたり恐れたりすることはないんですよ。だって、今起こりつつあるのは、とっても自然なことなんですから。そうでしょう?」若い声で言われた<自然>という言葉は、何かまっさらな感じだった。藤冶は、その言葉が持つ素直な安らかさをあらためて思い出したような気分になった。そうか、自然か。不思議なくらい心がなだめられた。(p184)
坂口安吾だったか「文学のふるさと」という言葉が読みながらずっと脳裏をめぐりました。
近年にないヘビーな一冊。もう一度読むには、もうちょっと、こちらの心の成熟度が必要かも。それほど衝撃的だし、カンタンに咀嚼しきれない。
そして、私にとってのもうひとつの衝撃は、この本をすすめて貸してくれたのが、、、中2の生徒さんだったということ。
著者は、1948年生まれ。略歴には、「主婦、僧侶。会社経営などを経て」ってあるけど、ミステリアスだなあ。
「猫鳴り」とは、猫の例のゴロゴロのことです。本書は、本の雑誌増刊「おすすめ文庫王国2010-2011)エンタメ部門で一位だったそうです。
猫鳴り (双葉文庫) | |
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夕ごはん
うな丼
きゅうりと大根の糠味噌漬け
ゴーヤの酢漬け
きゅうりみそ
「うな丼」は、頂もののレトルトのうなぎ。今日も蒸し暑い一日でした。
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