2012-02-06

「もうダマされないための『科学』講義」

週末、札幌でBBカードの勉強会に参加してきました。

今回は早朝6時30分過ぎのJRで。出発当日の朝は、マイナス20度くらいだったかな?駅まで徒歩20分弱だったんで、めちゃくちゃ着込んでいたのだけど、、、、札幌に着いてからは、なんじゃこりゃー!

暑い、暑い。特に駅ビルとかデパート内。たしかに、私は厚着でした。厚着でしたが、、、、もうちょっと、室温下げてもいいんじゃないのかなー?電力消費量がピークとか言ってるんだし。

と、電力消費量を身近に感じるようになったのは、例の原発事故が大きなきっかけなのだけど、あの日以来、放射能に関して、あーでもない、こーでもない、と、いろんな話が飛び交いました。今でも飛び交ってるけど。

なんだか、フツーに生活してたのに、いきなりよくわからない「放射能」やら「原子力」の専門用語の意味を「とりあえず」理解しなければいけない状況に追い込まれて(生き延びるために、、ね)、必死でベクレルやらWBC(ホールボディカウンター)やら、シーベルトやらの情報を「つめこんだ」人もたくさんいると思います。「理系じゃないから、わからない」じゃあ、ヤバイ感じ。かといって、政府が言うこと、東電が言うこと鵜呑みにはできやしない、という感覚。

そうなってくると「難しい理系の話(科学の話)をわかりやすく、感情に訴える形で伝えてくれる」人への依存度が高まるのもあたりまえのこと。

問題は、「わかりやすい科学情報」が、「正しい」かどうかを、理系オンチがどう判断するのか?でした。少なくとも、私はとっても困りました。今でも困っています。

札幌へ向かう列車の中で読んだ「もうダマされないための『科学』講義」(菊池誠、松永和紀、伊勢田哲治、平川秀幸、飯田泰之』+SYNODOS編 光文社新書 2012)は、そんなよくわからない「科学」の姿勢について、さらには原子力発電所事故後の「放射能情報」についての現状での真偽についての検証本。

データ、図が表示されているからといって、「科学的、客観的」とは限らない。

「科学」と「非科学」の境界線は、限りなく曖昧。

科学では「白黒」はっきり言えることは実は少ない。最先端の科学であればあるほど、不確実性がある。従って、あまりにも明快に「これが正しい、これが間違っている」と主張しているものは科学ではないから(客観的ではないから)、気をつけよう、

メディアは、「わかりやすいこと」を優先する。つまり、気をつけよう。

「マイナスイオンブーム」や、「水からの伝言」「エコナ問題」など、具体的な事象をあげながら、上滑りに流れた情報を鵜呑みにすることの危険性も指摘されていて、だからこそ、「科学者」たちが、積極的に情報発信をして、巷の人々に説明することも重要だというのが全体のトーンでした。

第一章の菊池誠さんが言う「頭で理解する」と「気持が納得する」の違いについて自覚的になるべきだという主張は、とても説得力がある。「不安」は「理屈」では解消できない、まさにそのとおりですね。

また、平川秀幸さんは、原発事故以来、「原発推進派」と「反対派」がの分断が広がりつつあり、そのまんなかで「どうしたらいいの?わからない!」という大多数の人を置き去りにしている状況を憂い、大多数の人もとまどうことのない「対話」の場をどうやって作っていくのか?の問いを投げかけていて、まさにそこは大切だと思いました。

個人ができることとしては、情報の質の良し悪しを見分ける眼力を育てることが大事。一方、人間というものは「思考の癖」(「信じたいものしか、信じない」)を必ず持っているから、自分がその「癖」に埋もれているかどうかを常にチェックすることも必要。

本を編集したSYNODOSは、若手の評論家集団。メルマガも出しています。文藝春秋や中央公論などとは全く違うメディアを目指しているというちょっと楽しみなグループです。

という一冊を読んだあたりで札幌着。で、暑い、暑いと、冒頭に戻る(笑)。

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)
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夕ご飯(今夜)

すき焼き


今朝、早朝の札幌発JRで、昼過ぎに帰宅。午後から英語レッスンなので、料理どころじゃありませんでした~。

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