先週の今日、5時間ちょっとJRに乗って札幌まででかけたんですけど、途中、2時間弱乗ったあたりの遠軽(えんがる)という駅から乗ってきたのが、白人の男女ふたり連れ。あれ、めずらしいね。スキーでもしにきたのかな?と思っていたら、でかい男性の方が、私の隣、通路側に座った。切符を私に見せて「コレ、ダイジョブデスカ?」と、席の確認。「だいじょうぶですよ~」と私。どこの国の人かな?
と、思う間もなく、そのふたりが通路を挟んで会話を始めました。あれあれ、英語だよ~。もしかして、これって、生ライブでリスニング状態?
他人の会話を聞き耳たてるのは、良心の呵責も感じましたが、今の私の生活の中、こんな機会ないじゃない?と。黙って耳をすませていた私。どうか、ヘンな話、始めないでね~と、祈りつつ。
どうやら、男性の方は、ニュージーランドの人。女性は、仕事上の後輩みたいで、あれこれ日本についてレクチャーしている感じ。学校制度についても語っているし、もしかしたらALTかな?
ほー、中学校の先生たちは、土日も部活で、プライバシーが全くない。それがストレスになって、授業の質も落ちている、、、というのが彼の観察みたいですね。。。なかなか鋭い。
しかし、これって、まさに「日常会話」。これくらいの会話をみんなしたいと思うのよね、英語で。
そう思いながら聞いていたのだけど、、、気づいたことがある!
この会話の中、「たとえば(for example)」とか「なぜならば(because)」が、なんと多く登場していることか!このまま日本語に訳したら、とっても理屈っぽい話みたいに聞こえるけど、そうではない。あたりまえのフツーの「日常会話」。
なぜかというと、それが「英語(あるいはヨーロッパの言語)」の「型」だから。
私自身、大して「論理的」に話せるわけではないからえらそうなことは言えませんが、単に英語の文法や構文をマスターして会話ができても、この「型」を意識できないと、単に日本語を横文字にして並べただけになっちゃう。これは、日本語に論理がないというわけではなく、あくまでも「型」の違いだと思うけど。
発音や、語彙も大事だけど、ココの部分が、実は大きな壁だと思います。
その意味で、英語の本をたくさん読んで、特にそこに現れる「会話の型」を自分に染み込ませることが、大事かなあと感じたJR。
あ、結局、ちょっとしたきっかけで、会話することになり、このふたり組の素性がわかりました!
遠軽のALTさん。札幌へは、雪祭りに雪像作りに行く途中だったそうです(^^)。
夕ごはん
一口トンカツ
わかさぎのマリネ
たたきごぼう
長いもすりおろし
しいたけとかぶ、あげのみそしる
最近、ちょっと揚げ物が多いかな?
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とてもラッキーでしたね。札幌にいてもなかなか生の日常会話に出くわす場面は少ないです。
ReplyDelete言葉って、文法や語彙だけではない、中身がないと、それに欧米の方たちは、「どうしてそう思うのか、感じるのか」の根拠を必ず求めてきますね。
日本人感覚の「ただ、なんとなく」は通用しない(笑)
クロワッサン様 コメント、ありがとうございます。逆に言うと、「ただ、なんとなく」文化も、それはそれでいいんですけどね~(^^)。型の違いだけれど、ここがひとつ、大きな壁のように思います。
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