最初に気づいたのは、震災や特に原発関連の情報を読んでいるとき、流れてくる情報を「取捨選択」している自分にふと気づく。その基準は、一体なんだろう?特に専門外の耳慣れない用語が飛び交っているときには「なんとなく信用できそう」という方向に傾きやすい自分がいる。で、その根拠はなんだろう?
どうやら、それまでの自分の価値観、ものの考え方、見方に似ているもの、近いものを選ぶようだ。
そのことに気づいて、ちょっと注意深く情報を読むようにしてみたら、、、あれあれ、今までの自分の考えとは違うものも「なるほどねー」と受け入れられるようになってきたような。
で、不思議なことに3.11以前は「原発反対」の人たちの言動にうなづいていたのに、最近は、必ずしも彼らの言葉を素直に受け入れられなくなっている。
語り口の問題なのでしょうかね?
原発反対はについては自分の態度は変わらないけど、「語り口」についてはちょっと慎重になっています。
そんな折、たまたま手にした英語教育関連の本、あれあれ、まさに「自分の価値観」とは違うお話。
「平成25年度から高校での英語の授業をオールイングリッシュで行う」という文科省の方針に異議を唱えるというのが本書の趣旨。ぶっちゃけ、「文法の細かい部分を英語で説明してたら時間がいくらあっても足りないでしょう?」「選択問題だけを与えていたのでは、読解力はつかないでしょう?」と、おっしゃることはたしかにそのとおり。「多読」も重要だと力説。
私とぶつかったのは、この著者が「文法の仕組みをきっちり理解してから、多量のインプットをするべき」の立場に立っている点。
多分、この著者が教えている東大生なら、その立場でもOKなのだろうけど、、、「おりひめ教室」の生徒さんの場合、「多量のインプットのあとのゆるーい文法説明」で、すっきりさわやかな顔をしていますよ。文法説明してない関係代名詞の入った分やifやwhenのはいった複文も意味、理解してますよ。
そして、おそらく彼女たちは、そのうち英語で書かれた文法書を読み解くようになると思います。日本語を介さなくてもね。何よりも「なんちゃってセンセー」自身、「教えなきゃいけない」立場になって、はじめて「5文型」の意味がわかったりしてます(^^;)
というわけで、読みながら「うーん、やっぱり読みたいこと、見たいこと、聞きたいことしか見ないのか、私は?」と自問自答してしまいました。その意味でとても勉強になった本。「英語と日本語のあいだ」(菅原克也著 講談社現代新書 2011)
本書のもうひとつのテーマ、翻訳と原文については、10年以上前に出版された酒井直樹さんのお話の方が刺激的でした。
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酒井直樹さんの本は、こちら。あれー、お高いのね!
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夕ごはん
ハンバーグ
根菜のサラダ
花ワサビのおひたし
納豆
高野豆腐とにらのみそしる
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