2007-09-25

「寡黙なる巨人」


風邪気味の状態が続いている。どうやら,皇太子さまと同じ症状。倦怠感、ノドの痛み、咳。たいしたことはないのだけれど、あまり動けない。それで、たまっていた本をひたすら読んだ。その中の一冊。多田富雄著「寡黙なる巨人」。(集英社)免疫学者で、お能の脚本なども手がけたりなさっていた多田氏であるが、2001年の5月に、脳梗塞で倒れ、半身不随になる。その後、リハビリを続け、パソコンで文章を書けるほどまでの恢復を描いた闘病記が、本書の前半。後半は、その闘病に関連した短文集のような構成。

なによりも、その前半の闘病記が迫力ある。脳梗塞により、身体機能は、麻痺したものの、言語野は無傷だったため、倒れた瞬間から、鮮明な意識で自らのからだに起きた異常を見つめなければいけない状況は、残酷ですらある。舌は動かず、よだれは垂れ放題。食べ物は、食道を通らない。意識はあるが、音声で言葉は、発せない。絶望の淵に追いやられながらも、不自由な指でパソコンをうつことを学び、綴る。綴ることで、この人は、生きる希望を得たのかもしれない。

「(前略)書けるなら書いてやろう。今いる状態が地獄ならば、私の地獄編を書こう。それは、なぜか私を勇気づけた。」(pp48)

この本が、普通の闘病記とちょっと違うのは、著者が科学者であり、その立場からリハビリの様子を描くことができたからではないだろうか。麻痺の状況、リハビリ訓練の描写は、綿密で過剰な情緒に流れず、読みながらも、こうして、パソコンに向かってキイを叩き、洗濯物を干し、料理をし、ジャガイモを掘ったりする私のからだの「動き」というものが、いかに奇跡的なまでの筋肉と神経の複雑な働きによって行われているのかを痛感した。

あとがきでは、リハビリ訓練の末に、歩行可能状態にまで恢復した著者が、その後癌を患い入院ののちに、歩行機能を再び失ったこと。一度マヒという障害をうけた人間は、機能恢復と同時に機能維持訓練がいかに重要であるかということ。小泉改革により生じた「リハビリ難民」(リハビリ期間を最長180日に制限したことで、リハビリ訓練を受けられなくなった障害者)の救済のための署名運動を展開していることなどが綴られている。

タイトルの「寡黙なる巨人」とは、病に倒れたあと、著者の中に生まれた新たな「自分」とでもいうべき存在のこと。この巨人は、不器用に歩き方を訓練し、ようやく第一歩を踏み出す。失った声のかわりに、以前とは、似ても似つかぬ声を発する。病とともに生まれた「新しい人」である。そして、著者は、この「話せない巨人」とともに再生し、生きている。

闘病記は、あまり読んだことがないが、情緒に訴えすぎず、冷徹な科学者の眼と、おそらく多田氏のもつ天性の明るさとユーモアが、ただでさえ読みごたえのある内容の本を、いっそう魅力的なものにしたようだ。

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