妻と娘を惨殺されて絶望の淵にいた本村さんがどうやってそこから立ち直ったか、が、この本の主軸にある。生きる気力をなくして辞表を提出した時に上司が「社会人たれ」と励ましたこと。警察の担当刑事が本村青年のあまりの落ち込みを心配して、酒鬼薔薇事件で息子をなくした土師さんとそっと引き合わせたこと。「何もありませんが。気持ちです。」と、そっと子供用のマスコットを手渡した飛行機のスチュワーデスさん。裁判所の「判例主義」に自分のことのように憤る検事の姿。
そういったひとつひとつが、本村青年の気持ちを動かして、支えていったんだなあということが、事実を淡々と積み上げていく文章の行間から伝わってくる。そして、それが可能だったのは、本村氏本人がそうした周りの動きに「気づく」という感受性の土台が強い人間だったのではないか?(本文中で、本村氏が思春期に長期入院をして「生」と「死」と向き合う経験があったと指摘されている。)
事件当初は、「犯人を殺してやりたい」と公言するほどの、押さえがたい怒りや憤りの感情に支配されていた本村氏が
単なる自分の『応報感情』を満足させるだけではない。司法にとって、そして社会にとって、今日の判決がなぜいけないのかどうしてこれをゆるしてはならないのか、自分も訴えるべきではないか。(p135)
の心境に達することから世界が広がっていく。本村氏が、「自分を超えた」瞬間だと思った。
一方の加害者の心の動きはどうだったんだろう?本文の最後に綴られている「死刑」判決後の彼の様子、言葉からは、この加害者も人としての「土台」が決して弱い人物ではないようだ。「思いやり」というものが彼の周りにもうちょっと多くあったら、どうなっていただろう?人が「育つ」ということについても思いが及んだ。
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夕ごはん
ポテトコロッケ
イカの塩辛
大根の漬け物
納豆
しめじとあげ、大根の葉っぱのみそしる
この本は読んでないのですが、彼を取材したドキュメンタリーをみました。もう、ほんとに、みていてつらくって、これほどの重荷を背負って彼はこれからも生きていかなければならないことを思うと、胸が苦しくって、ことばもでてきません。
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