今日は最近読んだ本の紹介を。「学校のモンスター」(諏訪哲二 中公新書ラクレ)。「生物と無生物のあいだ」の時にも思ったが、最近の新書は、種類も増えたが、タイトルと内容が一致していないものが多いようだ。この本もタイトルと帯(「彼らが増殖し、学校が壊れる」)だけを見たらいわゆる「モンスター•ペアレンツ」の話のようにみえる。ところが、内容は、「個」と「社会」。「近代的合理主義」と「消費社会」などの社会教育論。生まれたときから「消費者」として社会に組み入れられたこどもたちが「学校社会」さらには「社会」と相容れなくなっていく過程が高校教師として80年代以降、生徒と「文化的基盤」を共有できなくなった経験などとともに論じられている。
結果として、「成長」を断念したこどもは、「個性的」であり続ける事を奨励されたために、「社会性」を身につけることなく、学校を素通りして、社会に貢献できる「おとな」にならぬまま、浮遊するという。テレビ番組「ヘキサゴン」などで見られるいわゆる「おバカタレント」の珍回答も、その線で語られていて、なるほどーと、妙に納得。
いわゆる西欧的近代の「個人」は、キリスト教文化の裏打ちがあってこそなのに、その基盤がない日本でいくら「個人主義」といっても、それはまやかしであるという事が繰り返し語られていたが、じゃあ、どうしたらいいのだろう?ということは、読者の判断にまかされている。語られている事は、全て「なるほどー」なのだが、「社会」「公共性」「共同体」というものが、著者の中で、あまりにもしっかりとしたもの、揺るぎないものとしてとらえられすぎているのでは?「立派なおとなになりましょう」というのが「組織に従順であれ」と同意になってしまうのであれば、やはり抵抗がある。
実は、筆者がとまどったそれまでの子どもと違う「人種」が登場したという80年代に、高校生だった私。当時、たしかに「学校で得る情報はダサイ情報ばかり」というコラムニストの書いたものにいたく共感した記憶がある。結果、「組織人」にはなれませんでした。それでは、どうする?ということに関してのひとつの例を書いた本も読みました。それについては、また明日。
学校のモンスター (中公新書ラクレ (258)) | |
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夕ごはん
スパニッシュオムレツ
飯ずし
黒豆
納豆
長いもすりおろし
あげとわかめのみそしる
なんとその本、私も昨日買って読みました。
ReplyDeleteぱらぱらとみてモンスターペアレンツのことと思ってしまったのです。いつ面白くなるんだろうと最後まで読んだけれど、よくわからず。おりひめさん、分析してくださりありがとう。
shampooはカフェです。すみません。
ReplyDeleteShampoo様
ReplyDelete私は、図書館で借りました。結局、「個性的でいいんだよ」「そのままでいいんだよ」というメッセージを文字通り受け取りおとなになると、「それじゃー世間は納得しない」という理屈が理解できないままの「おとなこども」があふれるって事が言いたかった本のように思いました。
学校の先生って、大変だなーと、つくづく思いました。
これからは、Shampooさんでよろしく!かな?
おりひめ