2009-01-03

「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」

日本の片隅で小さい小さい英語教室を主宰している身としては、「どうして英語?」は、いつも頭のどこかにひっかかっている。「世界が広がるよ」「これからはネットで英語が読めたり書けたりできるといいよ」くらいの漠然とした答えしか浮かばないのだが、「日本人にとっての日本語と英語」について、(やや「上から目線」ながらも)論じた本がある。その名も「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」(水村美苗著 筑摩書房 2008)。著者は、自他ともに認める帰国子女の才女。エリート。(イエール大学で仏文学専攻しかも、漱石の「明暗」の続編を勝手に(?)創作して出版しちゃうくらいだから、大文字の「エリート」でしょう。著者は、日本語、それも明治以降に成立した「国語」による「日本近代文学」を心から愛していて、その「日本文学」がこの先、亡びてしまうだろうと憂いている。

本文はへたな推理小説を読んでいるよりわくわくさせるストーリー展開。いわゆる「国語」の成立過程に大きく関わる「西洋語」からの「翻訳」という作業のなぞ。そして、漱石は、大学を離れて在野で「文学」をやらざるを得なかったのか?当時の(そして現在でも尾をひく)日本における「大学」の役割とは何か?はたまた名著「幻想の共同体」を書いたベネディクト•アンダーソンが気づけない言語に関しての決定的な盲点とは?ベストセラーの構造とは?ノーベル文学賞の限界?さらに、これからの日本での英語教育はどこへ行くべきか?などが、息もつかせぬ論法で語られていく。ふー。ここで、深呼吸。

読みながら、江戸川乱歩の小説に出てきそうな(あるいは某国の総理大臣が住んでいるという)「洋館」に住む、紅茶をたしなむ洋装の御婦人が「日本近代文学は、奇跡のような宝物!これがグローバリゼーションの中で亡びるのを呆然と見ているなんてできなくってよ!」と、レースのハンカチをまぶたにあてつつ語る姿が読みながら浮かびました。(←不謹慎?)

ひと言で内容をまとめられないくらい、中身の濃い、そして英語と日本語の「あいだ」で生活したり、仕事をしたりしている人にとっては、ぜひ読んでもらいたい本です。私としては、「それ、どうだろう?」とか「えーっ?その視点はねえ?」という部分もたくさんあって、それも含めて読む意味のある本でした。それから、、、この本を読んだ人は、きっと「夏目漱石」を読んでみたくなると思いますよ〜(^^)

著者は、「インターネットの普及により『普遍語』としての英語の優位は動かせない。」と断言していて、それは私も同感。一方で、やはり、西洋語に翻訳不可能な「サムシング」を含む日本語も大事にしていかなければいけないなあと、著者の熱い「語り」にかなり「説得」されたのも確か。知人から貸して頂いて読んだのですが、自分でも手許に置いておきたいと思いました。

高校での英語の授業を原則「英語のみ」で行なうだの、小学校の高学年から英語を教えるだのが話題の昨今ですが、この本でも指摘されているように「それで、何を目標にしているの?」が見えにくいのが文科省の方針。「在野」の零細英語教室としては、なるべく風をよけながら、英語だけでなく日本語のよさも伝えていかないとね。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗


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夕ごはん

キムチ鍋

結局、大晦日から今日まで降りっぱなしの雪。自宅前(乗用車7、8台は駐車可能なスペース)の雪かきで明け暮れたお正月でした。

5 comments:

  1. ことしも、宜しく、お願いいたします!
    この本、読んでみたかったのですよ。すごく、おもしろそうですね。

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  2. >みかん様

    こちらこそ、今年もよろしくお願いしますね♪

    この本、メチャクチャおもしろい。これ一冊を囲んで「読書会」してみたいものです。

    例えば、、、「2009年にもし夏目漱石が生まれたとして、そして世界に通用する『物書き』を目指すとして、彼は、果たして日本語で文章を書くでしょうか?」ということです。

    茂木健一郎さんが「ボクの夢は、英語で著作をすること」と言っている事とあわせて考えるとさらにおもしろい。

    おりひめ

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  3. わたしは、漱石なら、日本語と英語、両方で書いたのではないかと思います。でも、やっぱり、最終的には、日本語の語感へのこだわりを捨てきれず、晩年は日本語で書くのではなかろうかと・・あくまで、想像だけど。

    でも、水村さんの本を読むと、考えが変わるかもね。

    「out of africa」や「バベットの晩餐会」で有名なイサク・ディーネセンは、デンマークの作家ですが、デンマーク語と英語で著作を残しました。(ご丁寧にペンネームまで変えて。そんなこととは知らなかったので、こっちは、著作をさがすのに手間取りました。)
    ディーネセンは、英語で書いたものを、デンマーク語に書き改め、ほぼ、同時に英語版とデンマーク語版を出版したそうです。すごいですね。

    茂木さんは、英語で論文を書くだろうに、あえて、「ボクの夢は、英語で著作をすること」というところが、謙虚というか、こだわりを感じますね。

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  4. >みかん様

    おそらく「2008年生まれの夏目漱石」は、、、、こだわるべき「日本語の語感」を感じない、あるいは「こだわるべき日本語」をもはやもたないかもしれません。

    ディーネセン、凄い人ですよね。性別を隠して発表するとか、文章も私は日本語版しか読んだ事ないけど、詩的ですよね。

    茂木さんの「英語で著作」は、「野望」だと思いますよ〜。つまり、世界に普及するような本を書きたいということで。


    などなど、ほんとうに「勉強会」ひらきたいよねー。

    おりひめ

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  5. そっか、2009年生まれの夏目漱石か。そっか、そっか、その感性も2009年ものってわけですね、つまり。
    ・・・ならば、2009年には、夏目漱石は生まれないって解はいかがでしょう?
    だって、漢文の素養がないと、夏目文学は成り立たないわけで、今の若者に漢文って、どうなんでしょうか?って、考えること自体がおかしいんだよね。明治時代の彼の残した業績にこだわってる。
    だから、やっぱ、今の時代に夏目漱石は生まれない。

    そっか、茂木さんの野望なんだ、なるほど。最近茂木さんのブログ読んでないけど、時々、英語でエッセイ書いてるよね。やっぱ、ノーベル賞欲しいんだろうねえ。まあ、学者なら、当然持つべき野望だろうなのだろうけど。

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