2009-01-25

「井戸端げんき」

英語教室や「布の会」などの集まりを主宰していると、「人が集まる場」についていろいろ考える機会も多い。先日手にとったのは、そんな興味からの一冊。「奇跡の宅老所『井戸端げんき』物語」(伊藤秀樹著 講談社 2008)。本書は、最近全国で少しずつ増えている「共生ケア」(認知症の高齢者だけでなく、障がいや悩みを持った人、持ってない人がごちゃごちゃとしながら生活を共にするケアセンター)の紹介本。

著者は、本人曰く、挫折の連続で、人生に自信が持てず、「ひきこもり」の状態にまで落ち込んだ段階から、たまたま進んだ福祉の世界から、自分で「宅老所」をたちあげ、広げている30代の青年。この「井戸端げんき」の最初の利用者は、著者自身の父親。くも膜下出血の四肢麻痺からリハビリで回復したものの、デイサービスと折り合わず、家でぼーっとした日々を送るうちに廃人同様になりそうだった父親の「居場所」作りが発端だった。

本書では、民間人としてどうやって「宅老所」を作り上げて行ったのかの記録と、効率重視で、「工場」のようになってしまっている大きい公的な介護施設の問題点。「井戸端げんき」では、何ができるのか?などが、かなりざっくばらんと乱雑な感じで紹介されている。その雑多さも、「井戸端げんき」そのままなんだろう。

認知症で暴言、暴力で周りが扱いにくいと感じているような「おじいちゃん」に、「おじいちゃんがいないと、『井戸端げんき』は、なりたたないよ」と「顔役」の役割を与えたら、みごとに「いいおじいちゃん」に変身。失語症の人には言語訓練より生活訓練、と、その人の「今、あるこの状態」を受入れるという姿勢。スタッフだか、利用者だか、ボランティアだかわからないけど、みんなが一緒に「生活」している、お互いがお互いを「助けている」「受入れている」という「場」の大切さが、ひとつひとつのエピソードから伝わってくる。

みんなが、みんな右肩上がりで行けるわけじゃない。下がってしまった人でも、井戸端のような場所でじいちゃん、ばあちゃんとワーワーやって和める時間を作れるならそれでいいんじゃないだろうか。それ以上求めなくても、経済的に豊かじゃなくても支え合うことができれば、人は生きていけるんじゃないだろうか。(中略)いい国にしよう、いい町にしよう、いい生き方にしよう、いい私にしよう、そんな上昇志向に縛られることをやめて、B級でもいいじゃないかと思えたとき,人はうんと優しくなれる。(p199)


著者はほぼ「人生」を「介護」にかけている。それは、やりがいがある仕事であると同時に、人に優しくなれる仕事であり、またとっても楽しい仕事のようだ。「介護」という仕事が、とっても魅力的に思える本でした。

奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語 (介護ライブラリー)
奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語 (介護ライブラリー)伊藤 英樹

講談社 2008-10-28
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夕ごはん

ジンギスカン

2 comments:

  1. わたしも、こんど、この本読んでみます。緊縮財政なので、すぐには、無理かもしれないけど。
    引用部分は、まさに、わたしも同じこと思ってて、「共感」!って感じです。
    どうしても、介護やリハビリって、良くなろうとか、自立とか、その行動に「向上心」が求められるだよね。でも、もう、年寄りにそれを求めても無理って場面も多く、ちょっと、がんばるのやめて、脱力してみたら、意外と、気楽な老後も過ごせるのではないかと、思うこともある。でも、反面、単なる怠惰や意地悪とか、まさに「七つの大罪」を地でいく場面にも遭遇するのが、介護の現実でもあって。ほんとにネガティブなものって、存在するんですよ。それと、どう、向き合えばいいのか、ってのが、わたしの課題です。
    介護の二つの現実の間を、振り子のように揺れておりまする。

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  2. >みかん様

    たしかに「七つの大罪」に直面したら、どうしたらいいのか?は、アリですよね。

    この本は、図書館で借りました。で、この著者がほとんど「こころのお師匠様」とあがめているのが、三好春樹さん。

    三好春樹「関係障害論」を今度図書館でさがしてみようと思います。何か「七つの大罪」についてのヒントがありそうです。

    おりひめ

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