そのときは、「死の自己決定は短絡的。なぜかというと、主人公の周りには友人、恋人、家族がいるわけで、彼らは主人公の死をのぞんでいない。関係性の中で生きているのが人間だから、生きる責任がある」みたいなことを書いた記憶が、、、でもって、なぜこの考えが「非常に変わっていた」かというとクラスのほとんどが「自分の生死の決定は自分でつける」と死の自己決定に賛成の個人主義者か、生死は「神さまが決めるべきだから」というキリスト教の視点からの反対だったからだとおぼろげに記憶。
「人は関係性の中で生きる」なーんて、わかりもしない大風呂敷を広げちゃった東洋人は私だけだったんです。クラスの反応も薄く、大喜びしていたのは哲学の教授だけ。
そんなことを思い出したのは、大宅荘一ノンフィクション大賞受賞の「逝かない身体~ALS的日常を生きる」(川口有美子著 医学書林 2009)をあまりの衝撃で一気読みしちゃったから。著者は、私より2歳年上。夫の赴任に伴いこどもをつれてイギリス滞在中に、実母がAlSを発症。30代半ばで、ちょっとセレブな専業主婦から以後12年に及ぶ難病患者の自宅介護生活に突入。その介護記録を軸としたのがこの本。
ALSとは10万人に数名がかかるという原因不明の神経性難病。ルーゲーリック病とも言われています。次第に身体のあちこちが動かせなくなっていく病気で、著者のお母さんが罹患したのは、ALSの中でも最重篤と言われる眼球すら動かせなくなる症状を伴うものでした。
本書の構造は複層的で、難病介護のルポでもあり、具体的な介護ケアの方法論でもあり、そして「生と死」を問う哲学論でもあり、さらには著者自らが介護を通して人生を拡げていく過程を描いた「物語」でもあり、さらにはコミュニケーション論でもあり、一言で言うと「生きる」ということのエッセンスが凝縮された一冊です。
眼球すら動かせなくなる。それでも意識はある状況の描写からは、普通に呼吸して手足が動かせること自体が「奇跡」の出来事なのだと自分の日常に感謝せざるを得ないし、そういう家族を見守りながら、「実は母に見守られているのは自分かもしれない」という達観に至る著者の洞察力には脱帽。 その観察力と洞察力、さらにはその行動力(ネットを駆使して情報を集め、発信し、ついには介護事業所をたちあげ、介護生活を軸に自分の人生を切りひらいていく力)が本書の要でもある。
そのきっかけは、生きているとはいえ意志の伝達が不可能になった実母を見てこれが正しい選択かどうか思い悩んだ末にたどり着いた結論にある。
母は(中略)あらゆる動性を停滞させて植物化しようとしている。(中略)むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて、私たちと共に存在することだけにその本能が集中しているというふうに考えることだってできるのだ。すると、美しい一輪のカサブランカになった母のイメージが私の脳裏に像を結ぶようになり、母の命は身体に留まりながらも、すでにあらゆる煩悩から自由になっていると信じられたのである。(p200)
そう思い定めた著者は、患者を哀れむのをやめて「温室で蘭の花を育てるように」共に生きる一歩を踏み出した。絶望を絶望のままに受け入れた先の希望の一例。
ちょっと、すごすぎます。この一冊。
逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズケアをひらく) | |
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夕ごはん
ハンバーグ
蒸しブロッコリとカボチャ
干し野菜のマリネ
トマトサラダ
ぬか味噌漬け
キューちゃん漬け
ほたてとしめじの佃煮
納豆
じゃがいもと大根葉、しめじのみそしる
ハンバーグにお味噌をちょこっといれると味がまとまります。
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